たかはし医院 タイトルロゴ

開院67周年

お蔭様で当院は開院67周年を迎えました。零細医院ですから、特別行事をするわけでもありませんが、 この場をお借りして皆様に厚く御礼申し上げます。義父(玉島医師会長在任中に急逝)が38年。 二代目の小生が1995年(阪神大震災、地下鉄サリン事件、戦後50年)から29年です。 継承時、高橋医院と高梁川の両方をイメージ出来るように名称を「たかはし医院」に変更しました。 その他は同じスタイルで開業しています。ですから、今も「高橋先生」と呼ばれることがあります。 10年後の2005年、ついに老朽化に耐えかねて医院を新しく改築しました。そして、自分自身がオヤジさんの 口癖だった「平均余命を逆算するようになった」今日この頃です。

 小生は神戸市で生まれ、お隣の明石市で育ちました。それまで兵庫県から外へ出て 生活をしたことがありませんでした。なので、当地に転居してきた頃(41歳)は、まさに「よそ者」 という雰囲気もありました。しかし、今ようやく岡山弁にも慣れて、地域ご近所の人々とも 仲良く暮らせるようになりました。新倉敷駅に帰ってくると、我が家に帰ってきたという 安堵感を覚えるようにもなりました。

 過ぎてみればアッという間で、正に光陰矢の如しでした。当初、乳幼児健診や各種ワクチンで 拝見した子供さん達が、今や就職結婚して赤ちゃんを連れて来院! 本当にビックリさせらる こともあります。このように「かかりつけ医」や「地域医療」の醍醐味をチョッピリ実感することも 出来ました。医療や社会もドンドン進歩し、例えば、連絡方法はポケベル→PHS→携帯電話→スマホへと進化し、ロボット手術や遠隔診療も珍しくない時代になりました。
 しかし他方では、医療体制や患者さんの意識行動も変化(悪化?)して、病院経営赤字、 医療スタッフの過重労働、救急車の乱用、モンスター患者の増加、高齢者介護の疲弊などは 枚挙に暇がありません。諸外国から「医療天国」と言われる日本の将来が心配です。

 これから日本の医療がどうなるのかは不透明です。コロナや各種感染症のみならず自然災害が不気味です。でも、先の事を心配してばかりいても仕方ないし、 常に感謝の気持ちを忘れず、毎日を大切にしていきたいと考えています。 偉そうなことを言いながら、小生自身も当初と比べると、古希を迎え当然ながら体力も低下傾向です。 しかし、もうひと踏ん張りして「かかりつけ医」として地域医療に微力を尽くすつもりですので、 今後ともご支援ご協力をお願い申し上げます。

kamep@mx2.tamatele.ne.jp
2024年

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