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家族葬

 医学部を平均25歳で卒業し、その後、研修期間を経て30歳くらいで半人前。そして、35歳で(10年選手)でなんとか一人前と言われている世界です。 それでも、(知識や技術はあっても)まだまだ経験が伴わないため、患者さんから安心感のある“ベテラン”と呼ばれるには程遠い状態なのです。

 最近では『医師は、家族の死、自分自身の病気、医療訴訟などを経験して初めて一人前になっていく…』とも言われています。

 さて、私事で誠に恐縮ですが、過日、父が88歳で他界しました。 2005年に自転車転倒で大腿骨を骨折してから、 当地倉敷市に転居させて療養治療を続けて参りました。 一時は歩行も出来るくらい元気に回復し、その後もリハビリを続けてきました。 しかし、年々様々な病気や怪我を併発し、このたび永眠しました。

 葬儀の方法や通知につきましては悩みましたが、 最終的には誠に勝手ながら子供と孫達(13人)だけでの家族葬を営みました。

 父は篠山市の旧制中学校を卒業後、陸軍士官学校に進み、戦後は中企業の会社員として70歳まで永年勤続を致しました。 在職中には日本フレキシブルコンテナ工業会やゴム工業会など、また、退職後も自衛隊統合協力会、地域の自治会や老人会など、 皆様方には生前なにかと大変お世話になり、本当に有り難うございました。 この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 今では少なくなった大正時代に生まれ、青春時代は帝国軍人として、戦後は企業戦士として激動の昭和を生き抜き、晩年は穏やかに平成時代を過ごして参りました。6人の孫にも囲まれ本当に幸せな人生だったと思います。

 若い頃は高校教師、晩年は民生委員を努めて非常に元気だった母も70歳で突然死し、あっという間に逝ってしまった母…。一方、80歳までは元気だったものの、最後の数年は数か所の病院で入退院(計15回)を繰り返しながら闘病生活を続けた父…。両親の対照的な死を経験して、 改めて“生&死”や“医療&介護”などを考えさせられました。

 小生も医師になってから40年以上が経過して、ようやく“ベテラン”と呼ばれるようになって参りました。 そして、次は自分自身の体調不良に気をつけなければならなくなってきた今日この頃であります。

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