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錯覚と感謝と健康と

 図をご覧ください。

  

  

 【A】〜【D】は見方によって二通りの図柄に見えるものであり、【E】と【F】も有名な目の錯覚を問題とする絵です。 何を言いたいのかと申しますと、人間の感覚は本来素晴らしいものですが、反面この五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)とは、 ある意味ではまことに頼りなく、いい加減なものでもあるということを意味しているのです。 つまり、そのいい加減な感覚の持ち主である人間が、なぜ必死になってストレスを感じるようになってしまったのか?ということです。

 『失って、初めて分かる健康のありがたさ!』これは逆に言えば、『人間というものは、自分が本当に病気になってしまうまで、なかなかその有り難さが分からないものである』ということです。 勿論、私自身、別に大きな病気をしたわけじゃありませんが、ただ皆さんと違う所は、毎日毎日、色々な病人さんを拝見しておりますと、 自分が大した病気にもならない事がむしろ不思議に感じ、有り難く感じるようになってくる、という事だろうと思います。 今は、幸か不幸か、小さな医院を引き継いで開業している関係上、救急患者や重症患者さんは滅多に来られません。 しかし、以前は救急病院や大病院で長年勤務しておりましたので、重症患者はドンドン救急車で運び込まれてきますし、 病棟では毎週必ず誰かがお亡くなりになる。つまり、世の中なんと悪い病気、気の毒な病気が多いのだろう…と。 そして、これまで自分が大した病気にもならなかった事が不思議というか、幸運というか、そんな気持ちになってくるものなのです。

 人間、上を見たらきりがないし、下を見てもきりがありません(そもそも本来は、「上を見ないと進歩なく、下を見ないと感謝なし」ですが…)。 いかに物事に感謝をして、納得(良い意味での自己満足)できるかが大切なのです。 昔から、ことわざ格言にも人間の知恵が隠されています。 例えば、あなたが新しい事を始めようか、やめようかと迷っているとき、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とか「当たって砕けよ」と考えるか?  それとも、「君子危うきに近寄らず」とか「石橋を叩いて渡れ」と考えるでしょうか?  また例えば、お年寄りが何かをして上手く成功すれば、人は「亀の甲より、年の功」というでしょうし、失敗すれば「年寄りの冷水」というでしょう。 これら相反することわざ格言【G】のどちらを頭に思い浮かべて納得出来るかが問題です。 日常生活で感謝する気持をもって、上手に納得できる人ほどストレスで体調を狂わせることも少ないのです。

【G】ことわざ格言のパラドックス
  ●虎穴に入らずんば虎児を得ず VS 君子危うきに近寄らず
  ●二度あることは三度ある VS 三度目の正直
  ●当たって砕けよ VS 石橋をたたいて渡れ
  ●鶏口となるも牛後となるなかれ VS 寄らば大樹の陰
  ●亀の甲より年の功 VS 年寄りの冷水
  ●武士は食わねど高楊枝 VS 腹が減っては戦(いくさ)ができぬ
  ●嘘つきは泥棒の始まり VS 嘘も方便
  ●鳶が鷹を生む VS 蛙の子は蛙

 健康とは「こころ」と「からだ」の両方が元気で健全であることです。 しかし、現在の日本人はきわめて平和で豊かな生活レベルにあるにもかかわらず、半病人あるいは半健康状態と呼ばれる人々が増えています。 すなわち、「こころ」と「からだ」のうち、「からだ」は大したことがないのに「こころ」が元気でない人が多いということです。 余計なストレスで「こころ」に負担を掛けないようにしなければいけません。 人間は結構いい加減なところがあり、人生も錯覚の連続かもしれません。 しかし、このいい加減さが非常に大切なのです。 何事にも感謝する気持ちさえあれば、そして、それが自分なりに努力した結果であれば、それなりに納得して満足することができるはずです。 これこそ、どんな状況におかれてもストレスから我が身を守り、「こころ」の健康を保つ最善の方法だろうと思います。

参考図書:「グラフィックの魔術」B.エルンスト 「ハウステンボス美術館」M.C.エッシャー

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