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宗教と医療

・宗教と病気
 もちろん宗教は、それ自体、病気治療を目的とするものではありません。 しかし、一般的には、人々が入信する三大目的は「貧・病・争」、つまり、貧しさと病気と争いからのがれることであると言われてきました。 日本の仏教も、基本的な出発点は「生・老・病・死」からの脱却ですから、もともと医学とは非常に関係が深かったのです。 事実、戦国時代までは、仏教僧が医者を兼ねていたと伝えられており、今でこそ少なくなりましたが、“医療と坊主の兼業”は、昔はむしろごく普通のことであったようです。 キリスト教にしてみても、開祖イエスキリストが足の不自由な人を立たせたとか、盲目の眼を開かせたとか、“てんかん”“ひきつけ”を治したとかいう話が福音書に載っています。 現在も、イスラエルの“マタイ伝の丘”という名の修道院や、フランスの“ルルドの泉”には多くの巡礼者が奇蹟の病気治癒を願って集まっています。

・心身一如(いちにょ)
 また、仏教には心身一如、つまり、心と身体は別々の異なるものではなくて、ひとつのものであるという考え方があります。 現在の西洋医学は、多くの専門分野に細分化され、この心身一如の立場からの人間的な医療が行われにくくなってきました。 ストレスや悪い生活習慣からくる半病人(半健康人)や心身症が増加している昨今、“心身医学”や“心療内科”の重要性が再認識されてきたことは喜ばしいことだと思います。 そもそも、人は何か薬とおぼしきものを飲み込んだだけでも症状が改善する可能性がある(プラシーボ効果)ということは、昔から暗黙の了解があったようです。 本来の薬理作用以外に、まさに「病は気から」、「信じるものは救われる」といった側面があったというわけです。

・新興宗教ブーム
 第一次ブームは、19世紀の終わり頃、つまり江戸末期から明治維新の始まる頃、第二次ブームは、第二次世界大戦後とされていますが、いずれも日本人の物事に対する価値観が根本的に崩壊してしまった時代でした。 そして今、第三次ブームといわれています。 これまでとは違い、物質的に恵まれた平和な時代なのに……です。 それは、とりもなおさず、現在が“心の貧困で病む時代”だからなのでしょう。 家庭や社会での人間関係における絆が弱くなり、孤独や虚無感といった精神的悩みを持つ者が増え、その心のよりどころを宗教に求めている人が多いのです。 これは、過去に貧困や飢えで悩んでいた人々からみれば、あまりにも贅沢な悩みだといえるでしょう。 いずれにしても新興宗教の中には、マスコミで報道されるように、時に教祖たちが独裁者で狂信的であったり、信者が営利目的に洗脳されたり、一般人の価値観とあまりにもかけ離れたものになってしまうという点が非常に大きな問題なのです。

・現代人にとって「聖なるもの」
 ある心理学者は、「独裁者とか教祖とか呼ばれている人は、たいてい妄想型人格障害、分裂型人格障害である」と断言しています。 一方、それに従う人々(信者)は、たいてい従順で、あまりにも真面目であり、言いかえればマゾヒスティックな性格といえるかもしれません。 狂信的な集団にみられる危険性は、集団妄想やいわゆる洗脳のメカニズムと共通するものがあります。 ちょっと理屈っぽくて恐縮ですが、このことは、歴史的にスターリンやヒットラーなどの独裁者や狂信的宗教の教祖たちを見れば明らかです。 すなわち孤立化した人間が不安定な状態に置かれると、自らの積極的自由を放棄して、恐怖や不安から逃れる手段として精神的マゾヒズムに陥ると考えられています。 その結果、このような主体性の喪失を合理化し、愛とか、平和とか、忠誠とかいう言葉のもと、自分は自分の意志で、自分のしたいことをしているのだと信じる……。 ここに専制サディズムとマゾヒズムの奇妙な相思相愛の関係が成立するのです。 まあ、ここまで極端でなくても、現代は“価値の多様化”などと美化されて言われますが、実際にはもっと単純であり、金もうけとか、有名になりたいとか、楽をしたいとか、 孤独や不安から逃れたいという“一元的な価値”に振り回され、単にその欲望を満たしてくれるものが「聖なるもの」になってしまっている人が多いのではないでしょうか。

・病医院における宗教活動
 信仰はもちろん自由です。 患者さんも色々な宗教を信じておられます。 しかし、院内での布教勧誘活動は、当院も含めて、あえて認めていない病院がほとんどです。 これは宗教を否定するのではなく、むしろ積極的にその必要性を認めながらも、病人の不安につけ込もうとする一部の悪徳宗教(善悪の区別はきわめて困難ですが……)を排除するためにほかなりません。 これだけ医学が進歩したにもかかわらず、残念ながら、まだまだ多くの難病、慢性病があります。 病気を克服したい!この強い願いが医療を今日まで進歩させてきました。 しかし、医学の奥は深く、広大であるがために、日夜研究に励んでも、ちょうど針のさきほどの進歩しかしていないことを知り、研究者たちは唖然とするのです。 医学的大発見をして、医療を改革した天才たちでさえ、やがては宗教の世界に回帰していったのは、この医療の世界の果てに神や仏を見たからに違いありません。

参考図書:「心の不思議学入門講座」小田晋
投稿:ロータリーの友 1998 Vol.46 No.9 「宗教と医療」

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