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人間の欲求

 アルジェリア生まれのフランス人、カミュという人が書いた『ペスト』という本を読みました。 彼は1957年、44才の若さでノーベル文学賞を受賞しましたが、そのわずか4年後、交通事故でこの世を去った人物です。 アルジェリアにペストが流行したという想定のもとに、人間を絶滅させる悪との闘争とペスト防止に超人的努力をする医師リウーを描く長編小説であり、 ペストに象徴される暴力や不正、悪や抑圧に対する集団的な反抗、連帯性の必要性などが強調されています。

 ペストとはペスト菌によって発病する感染症ですが、現代の医学では、早期に有効な抗生物質を投与することにより経過は良好です。 ところが薬のない時代には、このペスト菌の大流行で多数の死者が出ました。 歴史的にみて、第一回目の大流行は、6世紀の「ユスティニアヌスの疫病」と呼ばれるもので、ローマ帝国の住民の半分が死亡したとか、一億人が死亡したとかいわれています。 第二回目の大流行は、14世紀のヨーロッパで、重症の呼吸困難や紫斑による黒死病として恐怖を与え、全人口の4分の1にあたる約3000万人が死亡しました。 そして、その後もヨーロッパ、アフリカ、南アメリカ、東南アジア、中国などで散発的な小流行が発生し続けました。 ちなみに、有名な予言者であるノストラダムスが医師としてペストと戦ったのは16世紀のことでした。 この物語の時代設定は194*年となっています。 1928年のフレミング博士によるペニシリンの発見後ですから、ある程度の医学的知識や有効な抗生物質もあっただろうと考えられます。

 ペストの恐ろしさは、その死亡率の高さです。 ひとたび発病すれば、3〜5日で死亡してしまう。 死亡率は60〜90%の高率であり、肺ペストなどでは100%死亡したといわれています。 このように絶望的な病気の危険にさらされると、人間はいったいどんな行動がとれるのか? いかに超人的努力とはいえ、医師リウーを中心に強力な結束や連帯が生まれたのは奇跡的であったといえるでしょう。 恐怖のあまり、もっと混乱し、悪と暴力が横行する無秩序な社会状態に陥ってしまうのが普通ではないでしょうか。 人は生命が脅かされる極限状態になれば気が狂ってしまう。 人間とは残念ながら、時に信じられない行動をする動物なのです。 我々日本人が平和で豊かな生活を送っている今も、毎日世界中のどこかで戦争が起こり、殺し合いをしています。 カンボジアの内戦、イスラエルパレスチナ戦争、旧ユーゴスラビアの民族紛争、ルワンダのツチ族とフツ族の部族抗争では何千人もの人々が大量虐殺されました。 つい先日、この本の舞台となったアルジェリアで200人もの住民が反対派の民兵に殺されたと報道されました。 今でも信じられないことが世界中で起こっているのです!

 「衣食足りて礼節を知る」といわれています。 食べるものもない飢餓的状況においては、どんな人も空腹を満たすことに必死になります。 おそらく、今の北朝鮮の人々は正にそんな状況なのでしょう。 それが満たされれば、今度は名誉や地位などの社会的欲求を求めるようになります。 我々の欲求は大きくとらえると、このような階層を形成しているという考え方があります。 今、私たちは、ある欲求によって動いていますが、その欲求が満たされるとその欲求は消え失せ、同時に次のまた新しい段階の欲求が生じてくる。 アメリカの心理学者マスローは「人間自身に成長し、自己実現を遂げようとする固有の傾向がある」と言っています。 図の如く、マスローは人間の欲求を段階的にとらえました。 彼は、欲求を五つの水準に分けています。 第一の水準が生理的欲求、第二の水準が安全の欲求、第三の水準が所属と愛情の欲求、第四の水準が承認と尊敬の欲求、 第五の水準が自己実現の欲求であるとされ、これらの五つの段階は欲求の段階が低次元であればあるほど、強力で優先されます。 つまり、その日の食べ物にもこと欠く状態では、対人関係の問題も、名誉の問題も二の次になってしまうということです。 この物語のようにペストが流行し、いつ死ぬかもわからない状況下で、人々が正義の名のもとに連帯できるか否かは大変難しい問題でしょう。 『ペスト』が発表された1947年、つまり第二次世界大戦直後の人心が荒廃した時代であったからこそ、より熱狂的に民衆に受け入れられたのかもしれません。

 今の日本ほど低次元の欲求(第一水準および第二水準の欲求)が満たされている社会はありません。 また、現代社会の若者は、自由という名のもとに、「禁欲」から「欲望の肯定」へと意識が変化してしまいました。 若者たちは戦争や飢餓を体験していません。 つまりマスローのいう第一や第二の低次元の欲求を感じた経験がないのです。 それでは、我々は昔より幸福な自己実現を目指して生きているのでしょうか? いや、むしろ今の若者がかかえる色々な問題、つまり、自殺、いじめ、登校拒否、過食や拒食の摂食障害、暴力犯罪、薬物中毒などは確実に増えているのです。 どんなことをしても暮らしていける豊かな社会の中で、何をどうしたらよいのか、わからない若者が多くなってしまったのかもしれません。 勉強しなくても、仕事をしなくても、なんとなく生きていける。 一日中テレビを見たりファミコンをして過ごす。 何の目標もないし、努力もしない。 これでは「自己実現」どころか、まさに「自己崩壊」です。 平和で、豊かな今の日本で健康に生活できることのありがたさに感謝しつつ、世界中の色々な国々の厳しい現実やその長い歴史に目を向ける事が大切だと痛感しました。 我々日本人が平和ボケにならないように……。

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